2012年7月31日火曜日

森岡正博と天使と

森岡 正博(もりおか まさひろ)は、日本の哲学者・大阪府立大学教授
生と死を総合的に探求する生命学を提唱。代表的な著作は『無痛文明論』など。
(Wikipediaより)

twitterは、主にロム専で活用していますが、時には自分がフォローしている人から面白いあるいはレアで貴重な情報が入手できることもありまあまあ面白いツールと思っています。自分から何かを呟くことは滅多にありませんが・・・・。そんなふうなで、twitterと付き合っていると先日思わぬ出会いに遭遇しました。わたしがフォローしている誰かが、リツイートしたものと思われますが、そこに森岡正博さんの名前を見つけたのです。森岡さんの名前を発見したとたんに、わたしの脳裏には、なぜかパトリック・ボカウノスキー監督「L'Ange(天使)」が明滅したのでした。
そもそもわたしと森岡さんの出会いは、当時(95年頃)産経新聞文化部の河村直哉さんの紹介によるものでした。河村さんは、拙著「メタリック」を気に入ってくれ、当時ちょうど始まろうとしていた脳死患者からの心臓移植をテーマにしたエッセイをわたしに依頼してきました。そのエッセイとは、別唐晶司HPの雑文ページに載っている「脳移植という近未来」です。河村さんは、確かその後、産経新聞社を辞し、何冊か自著を出版なされたと覚えているのですが、現在どうしているのかは知りません。どうしてるんだろう?
その河村さんが、おそらく「脳移植という近未来」というエッセイでわたしに関心を抱いてくれた人として(あるいは「メタリック」で興味をもってもらったのかもしれない・・うるおぼえですみません)、森岡さんを紹介してくれたのでした。
で、森岡さん、河村さん、わたしと3人で、四条木屋町界隈の京料理屋で会食したのですが、その時の会話の内容などはほとんど覚えていません。会って話して受けた森岡さんの印象は、「女性的」というものでした。なぜでしょう?・・・今思い出してもよくわからないのですが、小柄で女性的な身体線、優しい視線、柔らかな喋り方、うーーむ、どうもそんなところからわたしには「女性的」という印象が強く残っているのだと思います。当時同じような印象をもっていたのは、「メタリック」の担当編集者で、現在「新潮」編集長の矢野さんで、森岡さんも矢野さんも女性的なイメージとそこに付加された圧倒的な知識量と尖った感性にわたしは「こんなひともいるもんなんだ」と感心するばかりでした。もしかしたらこの二人のイメージに浅田彰のイメージも重なるのかもしれませんが、わたしは実際に浅田さんとは会ったことがありませんのであくまで想像の域を出ませんが。
森岡さんは、当時、京都の国際日本文化研究センターで助手をなさっておられ、そこでセミナーのようなものを定期的に開催されておられ、わたしも一度参加した記憶があります。そのセミナーでは、確か尾崎豊論のようなことを皆で話し合っており、わたしは尾崎豊は大嫌いなので、どうもなんというか胡散臭いセミナーに参加してしまったと初めは後悔したのですが、森岡さんや他の参加者の尾崎豊論を聴いているうちに、少しは尾崎豊に共感できるとこもあるかなと錯覚してしまったようになった記憶があります(笑)。セミナーに参加したのは、結局はその一回きりで、森岡さんとも以来お会いすることなく、年月が流れていったのですが、森岡さんはその後、論壇に登場することも多くなり、ある時期はTVの「朝まで生テレビ」にも出演するようにもなり、また著書も数々と出版されるというようにその活躍にはめざましいものがあります。
ある日、新聞の書評欄を読んでいるとそこに森岡さんの著書「感じない男」が取り上げられていたので、興味をもったわたしは早速購入して読んでみたのですが、かなりのことまでカミング・アウトしておられ(カミング・アウトといっても、ゲイであることやエイズ感染者であることを表明したというようなことではなく、いわゆる男としてなかなか言い難いことをカミング・アウトしたということです。あしからず)、その内容というか、森岡さんの決意みたいなものにわたしはかなり驚いた思いがあります。
その後は、「草食系男子」という流行り言葉を生み出したり?のようなこともあったみたいですが、そのあたりはわたしは知らないままにスルーしてました(今回、森岡さんのwikiを読んで初めて知りました)。
で、話はtwitterに戻りますが、森岡さんの名前をみつけたわたしは早速森岡さんをフォローすることにしました。すると森岡さんから「すごい久しぶり」というような返答があり、わたしのことをおぼえてくれていることにわたしがびっくりしてしまいました。
その頃、ちょうどわたしはある講演会で山折哲雄さんの前座みたいな形で講演する機会があり、その時、山折さんの講演も拝聴し、最近自分が考えている「どうやって死ぬのが一番いいのか」ということの回答となるような貴重な示唆を伺えてよかったと思っていたのですが(当ブログの前エントリーに記事があります)、この山折さんと森岡さんは日文研で職場を共にしており、つい最近は「救いとは何か」という共著書を発表なされたところです。なんというタイミングの良さ!もちろん、わたしは早速この著書を購入し、拝読させていただきました。感想は・・・森岡さんの生命学という立場と山折さんの宗教学という立場からの話があるところでは一致しているようで、またあるところではうまく咬み合わないようで、その微妙な齟齬というものがとても興味深く思われました。現在のわたしは特に救いを求めているわけではないので(関心があるのは死に方だけです)、わたし自身もお二人の話にどうもうまく入っていけない感じもありましたが、それはそれとして十分に読み応えのある本でした。
森岡さんの専門とする生命学なるものはわたしの専門である医学と重なりあう面も多いのでこれからも注視して、森岡さんの仕事を追っていきたいと思います。
で、なぜ「天使」か?
初めてお会いした時、二人が共に面白いと意見が一致した作品がパトリック・ボカウノスキー監督作品の「L'Ange」だったのです。そして、このことだけをなぜかわたしは鮮明に記憶しているのです。80年代中頃、わたしはこの作品を京大西部講堂で視聴し大感激してしまい、一方、森岡さんは東京のイメージフォーラムで視聴して感動したとのことでした。
尾崎豊ではまったく好みの別れる二人ですが、「天使」では見事な一致を示しました。
で、この「L'Ange」ですが、わたしは当時イメージフォーラム社から通販でヴィデオを購入して現在も大切に所有しているのですが、今やこんなレアな映像も簡単にYouTubeで観れるのですね。ほんと、うらやましい限りです。下に貼っておきました。わたしは、この作品、映像でトランス状態を惹起することを試みた実験映画と解釈しています。とにかくすばらしいです。ぜひご視聴を!


パトリック・ボカウノスキー監督作品 「L'Ange(天使)」